2014年7月20日日曜日

最高裁の『外国人生活保護』に対する新判断について(3) ~最高裁判決の解説と過去の訴訟との関係~

さて、もう一度改めて最高裁の判決内容を書く。

生活保護法の対象は『日本国民』のみ。外国人は適用範囲外。

永住外国人生活保護(最高裁)【平成24(行ヒ)45号 生活保護開始決定義務付け等請求上告事件】

魚拓


正式な判決主文だとこうなる。


主文
原判決中上告人敗訴部分を破棄する
。前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。




何ともまぁ身も蓋もない文章である。

要は、二審の上告人(この場合は上告=最高裁に訴えたのは大分市)の敗訴部分を『間違ってるから破棄します』と宣告した事になる。
前項の部分――つまり『間違ってるから破棄します』とされた部分(大分市の負けとされた部分)――の被上告人(この場合は在日中国人女性)の控訴(一審で負けたから控訴=高裁に訴えた)を棄却する……つまり、最終的には一審判決が有効になる。
控訴と上告に掛かった費用も全部被上告人(在日中国人女性)の負担だよ、と言ってる訳だ。


更に正式な判決文だと

しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

とまで書かれているので、まさにフルボッコである。
(然し、久々に見たなぁ……こういうフルボッコ判決文)


理由を解説していく。

先ず(1)での(理由1)がそのまま書かれている。
即ち、旧生活保護法では『困窮する者全て』と、日本人と外国人の別なく保護対象としていた事。
然し、新生活保護法では『すべての国民』と、対象を日本国民に限定した事。
そして、新生活保護法制定から現在に至るまで、一度足りとも法改正が為されていない事。
また、生活保護法の適用範囲を拡げる様な『法令』も出ていない事。
以上により、生活保護法の対象は『日本国民』のみであり、外国人は適用対象に含まれないと言える。

※尚『通達』『通知』は『法令』ではない。『通達』『通知』は単なる行政機関の内部文書である。

旧厚生省の出した【生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について】という通知は、行政機関の措置を定めた文書であるだけで、生活保護法を上書きする事は無い
飽く迄も、外国人は生活保護法適用による法的保護の対象とならない事を大前提とする。その上で、それとは別に事実上の保護を行なう『行政措置』として、当分の間は日本国民に対する同法に基づく保護の決定実施と同様の手続きにより、生活に困窮する外国人に必要と認める保護を行なう事を定めたものである。
つまり、外国人は『行政措置による事実上の保護対象』となっているだけで、『生活保護法に基づく保護対象』となっている訳ではない。という事は、生活保護の申請権も受給権も無いのであり、法的保護の対象ではないのだから『処分』とは言えず、上告人(大分市)の行為は適法である。


という理由で『二審は明らかに法令解釈の誤りがある』として、上告人の敗訴部分を破棄する判決となった。
而も、この『二審は法令解釈に誤りがある』という判断は、担当裁判官全員一致の判断だという事で、もう何一つ言い訳すら出来ない。





ところで、この裁判では当初『憲法第25条(生存権)』と『憲法第14条(法の下の平等)』が争点になっていた事を覚えているだろうか。

憲法第25条及び憲法第14条に関する最高裁判例として、最重要とされる有名な事件が二つ有る。
一つは【塩見訴訟】と呼ばれる判例。
もう一つは【堀木訴訟】と呼ばれる判例だ。

塩見訴訟【昭和60(行ツ)92 国民年金裁定却下処分取消請求事件】
堀木訴訟【昭和51(行ツ)30 行政処分取消等】

簡単に説明しよう。

先ず【塩見訴訟】。これは『在日外国人に生存権保障が及ぶか否か』という問題に対して必ず提示される代表判例である。

この訴訟において原告は1934年(昭和9年)に朝鮮人の父母の下に大阪市で出生、1951年(昭和26年)のSF講和条約によって日本国籍を失った。その後、1970年(昭和45年)に帰化して日本国籍を取得した。原告は幼い頃に罹った麻疹の為に失明しており、普通ならば『障害者福祉年金』の受給対象である。
原告も当然、帰化後に障害者福祉年金の受給申請を行なった。

改正前の旧国民年金法第81条1項では、1939年(昭和14年)11月1日以前に生まれた者が、1959年(昭和34)年11月1日以前に負った傷病により、1959年(昭和34)年11月1日において別表に定めてある程度の廃疾(障害)の状態にある時には、その者に障害福祉年金を支給する事が決まっていた。

原告が生まれたのは1934年(昭和9年)で『1939年(昭和14年)11月1日以前に生まれた者』という条件はクリア。
麻疹によって失明したのも幼い頃なので『1959年(昭和34)年11月1日以前に負った傷病』という条件もクリア。
廃疾認定日(幼い頃から障害を負っていた場合、法的に『貴方を障害者と認めたのはこの日です』という認定日が成人した日に設定される。ただ、この旧国民年金法では戦後まもなくだったので、認定日が一律に法律で決まっていた)は『1959年(昭和34)年11月1日』であって、当然この日以前から障害を負っていたので、この条件もクリア。
晴れて『障害者福祉年金』が受給出来る。と思ったのだが……
受給申請を却下されてしまった。

その訳は、同法56条1項のただし書きに『廃疾認定日に日本国民でない者や日本国民であっても国内に住所を要しない者には障害者福祉年金を支給しない』と書かれていた為だ。

さて、これは憲法第25条(生存権の保障)及び憲法第14条(法の下の平等)に反するのだろうか?

結果としては原告敗訴が最高裁で確定した。
その理由としては是非判決文を熟読して頂きたいのだが、当エントリー内でも簡単に言おう。
  • 憲法第25条が示すものは国に課した政治的/道徳的な義務であって、個々の国民に具体的な権利を保障したものではない。(法的には『プログラム規定説』と言う)
  • 憲法第25条の義務をどう実現するかは、立法府の広い裁量に委ねられている。
  • 国は限られた財源の中で義務の実現に向けた努力をしなければならないので、財政状況は無視出来ない。問題の障害者福祉年金は、全額国庫負担の無拠出型(掛け金が必要無い)年金であるので、財源をどう使うかは立法府の裁量の範囲に属する事柄である。
  • 廃疾認定日を定めた事も、認定日以前の日本国民と認定日以降の日本国民とにの待遇に差をつける事も合理性を欠くとは言えない。よって憲法第14条に反してるとは言えない。
  • 社会保障から外国人を除外する行為や、外国人より自国民を優先する行為も立法府の裁量の範囲内である。
という理由になっている。
この塩見訴訟では、日本国民と外国人の社会保障を全く同一にするのは財政的にも難しい為、立法府が政治的に判断し、日本国民と外国人の間の待遇に差をつける事は許される範囲であると語っているのだ。



次に【堀木訴訟】。これは『憲法第25条の違憲審査基準を示した判決』として重要視されている。この判例は、前述の『プログラム規定説』のリーディング・ケース(先例となる判決)とされ、他の判決にも度々引用されている。

この訴訟において原告は視力障害者の女性。彼女は全盲であった為、旧国民年金法に基づく『障害者福祉年金』を受給していた。内縁の夫との間に生まれた子供を、彼と離別し独力で育ててきた。普通ならば、母子家庭として児童扶養手当の対象である。
彼女も受給出来るものと思い、知事に対し請求した。

だが答えはNO。
その訳は改正前の児童扶養手当法では、第4条3項第3号に『公的年金の受給者には児童扶養手当を支給しない』という条文が有ったからだ。
原告はこの処分に対して『児童扶養手当の実質的な権利者は児童であり、親が障害者福祉年金を受給しているからという理由で児童を受給対象から除外するのは不合理な差別である』として訴訟を起こしたのだ。

では、これは憲法第14条(法の下の平等)に反する不合理な差別なのだろうか?

結果としては、これも同じく原告敗訴が最高裁で確定
その理由はやはり熟読をお願いしたいのだが、そういう訳にも行かない。なのでここにも書く。

  • 憲法第25条が示すものは国に課した政治的/道徳的な義務であって、個々の国民に具体的な権利を保障したものではない。(法的には『プログラム規定説』と言う)
  • 憲法25条の規定は、国に対する責務として一定の目的を設定し、その実現の為に積極的な国権の発動(立法権や行政権)を期待するという性質のものである。
  • 憲法第25条の目的をどう達成するかは、立法府の広い裁量に委ねられている。
  • 児童扶養手当は元々『母子福祉年金』を補完する意味の公的年金であり、児童の養育者に対する社会的な保障である『児童手当』とは性質が異なる。障害者福祉年金も公的年金なので、年金の二重取りを許可するか否かは、立法府の裁量に委ねられる。
  • この児童扶養手当の不支給も、母子家庭や障害者世帯や生活保護等の社会福祉を総合的に勘案すると、決して不合理的な差別であるとは言えないので憲法第14条に反していない。

となる。





さて、ここまで来れば(1)で『この最高裁判決はある意味で塩見訴訟・堀木訴訟を踏襲したもの』と書いた理由が解ったものと思う。

この二例の判決では

  • 立法府による政治的判断によって、日本国民と外国人の間に、または年金受給者とそうでない者の間に、合理的な理由に基づいた差異をつける事は何ら問題なく、またその差異をつける判断すらも裁量の範囲内に属するものである。
  • 憲法第25条の解釈としては、個々の国民に具体的な権利を保障したものではなく、飽く迄も国に対する政治的/道徳的責務でとして一定の目標を定めたものである。
  • 憲法第14条は合理的な理由のない差別を禁止する規程であり、合理性を欠くとは言えない範囲であるならば、立法府にその裁量は大きく委ねられる。

という事が言われている。

今回の最高裁判例に於いても

  • 行政府による政治的な判断として旧厚生省通知が出されており、対象が日本国民のみである生活保護についても、裁量による行政措置として外国人にも支給されている。
  • 日本国民と外国人の待遇に差異をつける事は裁量の範囲内であり、憲法第25条には違反しない。
  • 国はその限られた財源の中で様々な社会保障を制定するものであって、その適用範囲は立法府の裁量権に委ねられている為、日本国民と外国人の間に差異が有ろうと、合理的理由を欠かないのならば、憲法第14条に違反しない。

という内容となっている。

どうだろうか?
完全に塩見訴訟・堀木訴訟を踏襲した形になってはいないだろうか。

つまり、最高裁は何も変節していないという事だ。
過去からの判例の積み重ね、法令解釈の積み重ねで、今回の最高裁判断も下している。

今回の最高裁判断を以って『司法は死んだ』『安倍政権への擦り寄りだ』『ネトウヨへの人気取りだ』などと言う者は、この(1)~(3)のエントリーを何百回でも熟読すると良い。