2014年8月1日金曜日

全裸女児盗撮ツイートの『何』が問題なのか ~無意識に無邪気に行なわれる『セクシズム(性差別)』~

さて今回は、Twitter発で一部界隈にまで問題が派生した――特に女性からは蛇蝎の如く嫌悪された――表題の問題について取り上げる。

そもそも取り上げた理由としては、この発言者であり問題を引き起こした本人が、余りにも浅くしか問題を捉えておらず、一体『何』が問題であるのかを理解していない事に驚愕したからだ。

更に言えば、この発言者が過去にどれだけ軽率な意識で、無自覚に無意識に『性差別』を振りまいてきたかを確認したのも理由となる。
正直に言うならば、落胆が隠せない。

彼の酷い問題――飾る事なく正直に言うならば『罪』――は幾つかある。
決して一つだけではない。
非常に複合的であり、尚且つ相互に入り組んで複雑化した複数の問題が絡んでいる。


事件を追っていない人の為に

先ずは記事を引用しよう。

“全裸女児盗撮ツイート”で非難殺到 プラネタリウムクリエイター大平貴之氏の問題発言に物議

(消えてしまった際に備えての魚拓)

http://wotopi.jp/archives/7743


この問題の人間は『大平貴之』氏という。
尚、TwitterIDは@ohiratec_mega
Twilog(ツイログ、Twitterの発言履歴を記録している外部サービス)はコチラになる。

当該の問題発言も引用しておく。






正直言うと殴りつけたいのだが、それは止めておく。
その代わりに『言葉で』殴りつけよう。



第一の問題

『自分の社会的地位による影響力の大きさに無自覚』であるという事。

さて、彼が一体どういう人なのかはTwilogを読んでいただければそれこそ『百聞は一見にしかず』だと思うのだが……
実例として、幾つか発言を引用しよう。
……いや、幾ら何でも、『ネタ』にしても、あらゆる意味で酷くはないだろうか?


読んだ人の中には『こんなのTwitterの平常運転じゃん』とかいう感想を持った人もいるだろう。
そう、確かに『Twitterの平常運転』である。
これに負けないくらいの、これより更に酷い変態的な発言をしている者も実際多い。

然し、だ。
大平氏の場合は、これらの発言が為されたのが『本人認証アカウント』(名前の横にチェックマークが付いているアカウントは、Twitter社が『このアカウントは成り済ましではなく本人に間違いない』と認証した事になっている)である事が大問題なのだ。

つまり――
エンジニアであり、プラネタリウムクリエイターであり、有限会社大平技研の代表取締役であり、東京大学特任講師であり、和歌山大学客員教授であり、相模女子大学客員教授であるという『社会的地位を表明している本人』が、この様な発言をしているという事が大問題なのだ。

極端な話、そんな性的嗜好の表明(と言うほど高尚でもない、単なる下衆な居酒屋でのオッサン談義)は、別アカウントで本人と全く無関係にやるなり、匿名掲示板でやるなり、クローズドなグループチャットでやれとしか言えない。
SNSという半ば以上に公的な場所で、而も『大学の客員教授』という公的な影響力を持つ者が、この様な下卑た仲間内での下ネタを垂れ流すのは、お世辞にも褒められた行為ではない。

それこそ『自分の社会的身分や肩書と全く無縁な私人として』勝手にやらかして、同好の士と笑い合ってる分には構わない。匿名の私人だったり、正体が解っていて特定可能であっても大学教授のような『教育関係』や政治家や公務員などの『公的関係』でない限りは、自由に――それこそ『下卑たオッチャンの居酒屋談義』をしても問題はない……とまでは譲ろう。(不快に思う人も多いかも知れないが、それはそれでまた別問題)

大平氏の場合、彼がアカウントとして使っている『実名』そのものが『社会的身分や肩書』と密接不可分なのだから、要は『そのアカウントでそんな話すんなボケ』という事に落ち着く。

つまりは、大平氏は『公私の使い分けの出来ない幼稚な人格』と結論付けるしかないという事だ。


第二の問題

『半ば以上に公的な場所で為された発言を、仲間内の”ノリ”で済ませようとした共感性の無さ』だ。

前述の記事中にも【ツイート内容をネタだと反論、フォロワーの不安も煽る】との見出し部分で書かれてはいるのだが、改めて引用する。


これを見たら、どんなに鈍い人でも問題が解ると思われる。
一連の発言の後、わざわざ親切にも『自分に注意してきた人間』や『この発言を問題視した人間』に対して
『ネタなんだから真面目に取るのは馬鹿。通報でも何でも気が済むまですれば良い。自分は何もやってないんだから通報とかするだけ無駄だけどね。ご苦労さん』
とでも言うような嘲笑う態度を取っているのだ。
開き直りと取ってもいいだろう。

これが前述の匿名の私人などなら話は十分に理解出来る。と言うか、そういう仲間内の楽しい(?)会話に横入りしてルールやモラルを押し付けてくる人間がいたとすれば、正直に言えばそれは単なる『小さな親切大きなお世話』でしか無いのだし、窮屈な面が目立ち邪険にされて然るべきものだ。

だが、である。
前述の『第一の問題』でも示した通り、大平氏は『実名の本人証明済みアカウント』であり、そのアカウントでの発言は『大平貴之氏個人の人間性』と直結する。これらの児童ポルノでさえ問題となる発言や、醜い開き直りをする様な人間が『プラネタリウムクリエイターとして子供に夢を与える仕事に就いている』『大学の客員教授として教鞭を執っている』という『印象=イメージ』が形成されてしまうのだ。

第一がそこまで考えが及ばなかったにせよ、だ。
単なるネタならば『不謹慎だ』と注意された際に『申し訳なかった』と謝罪すればいいものを、飽く迄も『仲間内での”ノリ”』を重視して『ネタをネタと読み取れない奴の方がオカシイ』と(本人はそこまで深く考えてはいないだろうが)自身の正当性に拘った。
その証拠が以下の発言である。
自身のファン(悪く言えば取り巻き)から励まされた返答がコレなのだ。ここでも大平氏は
『ネタをネタと読み取れない奴がオカシイ』として『そういう読み取れない奴に絡まれて炎上するのはよくある事だから心配するな』と返答してる訳である。

……大平氏が自分で種をばら撒いて自分で炎上した今回の件について、苦言を呈したり注意を促すなら兎も角、『ネタに文句つけてきた方が悪い』として『負けないで下さい』とか言ってしまうファンもファンだけど。私に言わせりゃ、こういうのは『ファン』じゃなくて『信者』と言う。

それ以後に『謝罪』に至った訳ではあるが……
その謝罪も『誰かから謝罪する様に言われ、本人は納得しないままに形式上言葉を並べただけ』としか思えないフシがあるのだ。その証拠としては謝罪後、その同日にこんな非公式RTをしている。
『普段見てない人=自分のネタを解してくれない人』にRTされたのが原因だ、とさえ受け取れる発言をしている。そして、この発言に賛同するファン(=信者)も多いのだ。

問題の焦点はそこではない。問題は『公の場に晒されている実名アカウントである自分の発言』に対して、限りなく無責任である事にある。単なる私人の匿名アカウントがこんな発言をしても、ここまでは叩かれなかったかも知れない。(ま、最近の流行として『通報祭り』に発展していた可能性もあるが)

個人的に言うならば、大平氏は『叩かれたから反省した』だけであって『問題点が何で、自身の何処を改めねばならないのか』という視点が完全に欠落しているように思う。


第三の問題

『児童ポルノ問題に著しく無頓着で、想像力が欠如している』事。
正直言って、余りにも鈍感過ぎる。

昨今、『改正児童ポルノ禁止法』が成立したのを覚えてらっしゃる方も多いと思われる。特に一部界隈では、マンガ・アニメ等の表現規制に繋がるのではないかという危惧から注目度が高かったので忘れられない方も多いだろう。(表現規制問題は現在進行形なので『忘れてる暇なんか無いよ!』という反論も来そうだが)
加えて、小学中~高学年児童を対象とした誘拐や殺人事件が、特に増加はしないものの決して途切れる事なく起こり続けているという事実もある。(先日も女児では岡山県倉敷市の監禁事件があったし、男児では兵庫県尼崎市での監禁事件があった)
更に、LINE等のアプリや動画配信サービスを利用した各種性犯罪についての報道も絶えることはない。

これらから、児童ポルノにも絡む年齢の児童・生徒に対しての性的な話題はかなりセンシティブになっているのが実情だ。


大平氏の件の発言の中にこんなものがあった。


正直、例えネタであっても幾ら何でもコレは無い。
小学校高学年から中学生の女児の裸を見た事を『羨ましいと思う人間』がいるという事――これはもう何の言い訳のしようもなく『その年代の女児の裸を性的対象として見ている』からこそ、見ていない者に対して『女児の裸を見た自分』を自慢出来るという事になる。而も、その女児の裸を見た事を『神様がくれたご褒美』とまで言ってしまっている。

本人はその後に
と弁解しているが、こうまでなってしまった後では一体『誰』がそれを信じるというのだろう。
本人の性的な嗜好(ロリコン/ペドフィリア等)など、何かしら事件を起こさない限りは『本人の自己申告』しか知る手段がない。そして、こんな問題を起こしてしまったからには、これ以降どんなに否定しようが第三者から
『大平氏は実はロリコン/ペドフィリアなのではないか?上手く隠してはいるが、あの発言は本音だったのではないか?』
と勘ぐられてしまうのもまた仕方ないと言える。自らが招いた舌禍事件なのだから、自業自得として偏見にも耐えてもらおう。


更に言うならば、その年頃の子女を持つ親の心情としてはどうなのか考えた事すら無いと見える。
一応は
と言っている――つまり『この発言が児童ポルノ問題に絡む』事を了解しているはずなのに、だ。

羞恥心やら何やらの問題から『小学校高学年から中学生の女児が全裸で水浴び』は考え難いとしても、まだそういった感情が希薄な年齢の女児がシャツや下着姿で水浴びする事は十二分に想定される。
さて、その『ただ暑いから水浴びして気持ち良くはしゃいでるだけの我が子』を、そういう『性的な視線で見ている人間』が周囲にいるかも知れないとしたら?極端に言えば、愛しい我が子が誰とも知らぬ性的欲望の塊から『視姦』されているのだ。そんな状況下で、果たして親の心境は如何なるものか。
親からすれば、そんな『愛しい我が子を視姦しているような人間』は『気持ち悪い』以外の何物でもないだろう。羞恥心などがまだ希薄な子供に代わって、親自身が嫌悪と恐怖の叫び声を上げるかも知れない。警察に通報するかも知れない。その人間を公に犯罪者扱いするかも知れない。過激な親ならば殴り掛かるかも知れない。

まして、これが親が近くにいなかった場合はどうなるだろう。親の自分の目に付かぬところで、愛しい我が子が欲望に汚されているのだ。そのまま連れ去られ誘拐されるかも知れない。性犯罪のターゲットとなり巻き込まれるかも知れない。その恐怖は一体如何程のものか。

大平氏は『自分の発言が他人に引き起こす恐怖』を余りにも自覚しなさ過ぎる。


第四の問題

『普段から女性を性的消費物としか見ていない』事。
本人には全くそのつもりはないという事は断言してもいいと思う。然し、幾ら本人にそのつもりがなくても『そう受け取られて然るべき発言をしていた』のもまた事実だ。

『性売買(平たく言えば売買春)』の問題は根強い。
私個人としては、性サービス産業に従事するセックスワーカーの女性に対しては、差別もしない代わりに尊敬もしない。ただただ『大変だなぁ。男性の土方より肉体的にも精神的にもキツイ職業なんじゃないのかな』と感心するばかりだ。個人としての認識は『大変な職業』というだけであり、他の職業と何ら変わりはない同列の扱いだ。
然し、これが『職業』ではなく『援助交際という名の売春』ならば話は別だ。而も、それに従事しているのが『学生・生徒』ならば尚更だ。(その昔『プチエンジェル事件』というものがあり、それの従事者は『児童』だったのだが……今はそういうものは無いらしい。尤も、表に出てきてはいないだけで、裏にはチャンとあるんだろうなぁ)

援助交際について『性を買う男性が悪い。需要側が悪い』『性を売る女性が悪い。供給側が悪い』等の意見は様々だろう。だから、その是非についてはここでは問題にしない。
飽く迄も、ここで問題にしたいのは、そういう『学生を性の対象と見る』人間に対して一定の嫌悪感を持つ人間は必ず居り、その人間にとっては『自らの性』が『単なる商品として消費されている事』が、心をズタズタに切り裂かれているのと同じ事だという話だ。

前に引用した【JKの制服の匂いがたまらん】【女子高生ハァハァ】もそうである。
『Twitterに溢れてる変態発言じゃないか。そんなに目くじら立てるもんじゃない』
という意見もあるだろう。いや、むしろそっちの意見の方が圧倒的な多数派かも知れない。でも、その発言を読んで『傷付いている人』『不快に思っている人』は確実に存在するのだ。それを忘れずに、常に心の片隅にでも自覚しておいて欲しいのだ。

私は何も、その手の下ネタ発言を一切許容しないなどと言うつもりはない。そんな発言をしようとも、それは個人の自由だろうし、そんな発言を楽しむのもまた個人の自由だろう。その個人の自由を阻害する権利は誰にもない。誰にもないが、そこには『自覚と責任』は絶えず付き纏う。自覚があれば、他人と衝突した時に『開き直る』という最悪の手法だけは避けられる。自重するにしろ、その衝突を不当だと思うにしろ、相手との対話を念頭に置ける。

キツイ事を言うようだが自覚して欲しい。
これこそが『性差別(セクシズム)』なのだ。これこそが『性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント)』なのだ。これこそが『性的虐待(セクシャルアビューズ)』なのだ。
相手の人間としての『個』ではなく、女子高生という『商品タグ』を見る。極論すれば『お前には女子高生というブランドしか価値が無い』と言ってるも同じなのだ。中身は何でもいい、女子高生という商品タグがついていれば構わない。そう言ってるのと何ら変わりはないのだ。
本人が自覚しているか否かに関わらず。

前述の様に一切の下ネタを嫌悪してる訳ではない。許容しないとか言うつもりもない。
ただ『無邪気』(=悪意の無い)で『無自覚』(=敢えて考えた訳ではなく、極自然なもの)な『差別』ほど根は深い。本人に『差別しているという感覚が全く無い』のだから。そして、そういう『日常的に何気なくふっと出てしまう』ものほど、他人から指摘されても『目くじらを立てる事じゃないだろう』として『考えずに(=思考停止して)』流してしまおうとするものだ。

セクシズム問題は根が深い。
そして大平氏のやった事は、そこに土足で踏み込んで荒らしまくったのと同じなのだ。


結論

では、最後にもう一度振り返ろう。
問題点は四つ。

  • 『自分の社会的地位による影響力の大きさに無自覚』
  • 『半ば以上に公的な場所で為された発言を、仲間内の”ノリ”で済ませようとした共感性の無さ』
  • 『児童ポルノ問題に著しく無頓着で、想像力が欠如している』
  • 『普段から女性を性的消費物としか見ていない』

この四点に関しては、何も大平氏特有の問題ではない。
特に二~四は社会でもよく見かけるはずだ。そう、何かと言うと『スキンシップをする事が親愛の証になる』と本気で思い込み、ナチュラルにセクハラをしてくる中高年男性共である。

人間であるからには下品な話題も当然あるだろう。下卑た話題も当然あるだろう。
その全てを否定してはいない。
ただ単に昔から言われてきた事を繰り返してるだけなのだ。

『TPOを弁えろ』と。

2014年7月22日火曜日

チョコミン党 綱領(第零次綱領)

一時的にその座を預かり、党首代表代行を務める私、神條遼が此処に制定する。



チョコミン党 綱領



我が党は、自由主義を根拠とし、全ての愛好家の代表として、人類の至宝たる味であるところのチョコミントを生涯に渡って希求し、その素晴らしき理念を心の内に掲げ、何時迄も絶える事なくチョコミントを愛する事を此処に誓う。



我が党は、世間の風評に対し屈する事なく、チョコミントを愛る事を宣誓する。各人が党員としての誇りと気高さを自覚する事を望む。



我が党は、自由主義に立脚し、他人の嗜好を否定批難する事なく、美味なるものを受け入れる事を誓う。但し、我らが愛するチョコミントを汚す者に対しては、不倶戴天の覚悟で臨む。



我が党は、市場におけるチョコミント味の飲食品、又はチョコミント風味の嗜好品の購入を絶えず続ける事により、我らの元へチョコミントを届けて下さるメーカー様の売上に自主協力する事を必須条件とする。



我が党の党員は、常にチョコミントの素晴らしさを語り、行く行くは全人類がチョコミントを愛する様になる事を願う。そして、人種、民族、宗教、性別、年齢の垣根を超え、世界がチョコミントを愛し、それによる平和が達成される事を心より祈り続ける。




党首代表代行預かり
神條遼 起草

2014年7月21日月曜日

日本国の難民条約批准と国内の社会保障関係法の一斉改革について ~外国人生活保護問題に関連して~

さて、今回の表題の件については本気でショックを受けた事をここに告白する。


……いやさぁ。
今10代20代の子が『知らない』とか言うなら未だ解るけれども、正直40代以上の人間が表題の事を全く知らないような発言をするってのはねぇ。而もそれが、或る程度発言力や影響力があって、若い子がそいつの発言に感化される様なタイプだとか……(敢えて名指しはしない)


正直、泣きたい気分で一杯の私です。

 つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚



いや、泣いても解決しないからエントリー書くか。
愚痴失礼。




表題の難民条約

正確に言うならば、この呼び方は 難民の地位に関する1951年の条約 及び 難民の地位に関する1967年の議定書 の二つを合わせた通称である。


成立経緯を簡単に説明する。

第二次世界大戦を契機として、それ以前より各国に存在した難民保護の為の法制度を整備し、多数の国が参加する世界的な統一基準として成立したのがこの51年の条約になる。背景としては、未だに戦火の爪痕が多数残り戦争難民が大量に発生していた時代であったが為に成立が急がれたという事情もあった。そうして『1951年(昭和26年)1月1日以前の事件の結果として難民になった者(主に第二次大戦の被災者を想定)』を保護する条約が成立した。

だが、実際の難民はこの条約の規定日以降にもアフリカを中心に多数発生していた。その為、時間を限定せずに包括的に難民を保護する法制が求められた。難民保護救済が急務であった為、条約改正に時間をかけるよりはと、1967年(昭和42年)に『条約に於ける難民認定の時限的制約を取り払っただけの議定書』という形で成立した。




日本は1981年(昭和56年)6月5日の国会承認を経て、同年10月3日に国連事務総長に加入書を寄託。同月15日に国内で公布され、翌1952年(昭和27年)1月1日に発効(効力を生じる事)した

(※)
これ以上の詳細な経緯や解説は、外務省作成の 難民条約パンフレット を参照の事。


で、この難民条約。

条文中に『合法的に国内に滞在する難民』に関して、様々な権利を保証する内容が規定されている。特に第24条の1(b)は、これを根拠にして国内の社会保障関係四法(国民年金法、児童手当法、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法)の『国政条項』の撤廃に至った条文である。

第24条【労働法制及び社会保障】
1.締約国は、合法的にその領域内に滞在する難民に対し、次の事項に関し、自国民に与える待遇と同一の待遇を与える。

(中略)

(b) 社会保障(業務災害、職業病、母性、疾病、廃疾、老齢、死亡、失業、家族的責任その他国内法令により社会保障制度の対象とされている給付事由に関する法規)。ただし、次の措置をとることを妨げるものではない。
 (i) 当該難民が取得した権利または取得の過程にあった権利の維持に関し適当な措置をとること。
 (ii) 当該難民が居住している当該締約国の国内法令において、公の資金から全額支給される給付の全部または一部に関し及び通常の年金の受給のために必要な拠出についての条件を満たしていない者に支給される手当てに関し、特別の措置を定めること。

日本も批准したからには、それに従って国内法を整備する必要がある。
あるのだが……
ここで厄介な問題があった。
日本には『難民を認定する法制』が存在しなかったのである。
なので真っ先に 出入国管理令 を改正して難民認定に関する規定を盛り込む事を視野に入れた。

そこで、1981年(昭和56年)の第94回国会に国内法整備の為の改正法案として 難民の地位に関する条約等への加入に伴う出入国管理令その他関係法律の整備に関する法律案 を提出。同年6月5日に成立。難民条約が発効された1982年(昭和57年)1月1日から施行された。


その結果として……
出入国管理令は 出入国管理及び難民認定法 と名前を改め『難民認定に関する規定』が新設された。
旧国民年金法 からは国籍条項が削除され、現行の 国民年金法 に。
旧児童手当法 からも国籍条項が削除され、現行の 児童手当法 に。
旧児童扶養手当法 からも国籍条項が削除され、現行の 児童扶養手当法 に。
旧特別児童扶養手当法 からも国籍条項が削除され、現行の 特別児童扶養手当法 に変更された。


(※)
過去の 国民健康保険法 では、日本国民以外で加入出来るのは(1)難民条約の適用を受ける難民(2)1965年に締結された日韓地位協定に基づく永住許可を受けている者(3)市町村が独自に条例で定める国の国籍の者――の三種のみとなっていた。
だが、1986年(昭和61年)に 国民健康保険法施行規則 が改正され、更に上記(3)の市町村による国籍指定が撤廃された為、国籍如何に関わらず 国民健康保険法第5条 に言う『区域内に住所を有する者』として扱われる事となった
これにより現在では、長期違法滞在者(オーバーステイ)等でない限り、外国人でも加入出来る様になっている。


さて、ここで『正規滞在の外国人と難民では違うではないか』という反論が出そうなので、予め潰しておこう。

法的に言うならば、『日本国民(日本国籍保有者)』以外は、永住外国人であろうと一時滞在の外国人であろうと難民であろうと『日本国民とは異なる者(日本国籍未保有者)』という同一の括りでしかない。
そこで、難民条約に従い『難民=日本国民とは異なる者(日本国籍未保有者)』に『自国民(日本国民)と同一待遇を与える』ならば、他の『日本国民とは異なる者(日本国籍未保有者)』である『永住外国人や一時滞在外国人』等にも自動的に『自国民(日本国民)と同一待遇を与える』事となる
これにより、難民を含む一般外国人全てに内国民待遇が与えられたのである。


然し、だ。
この国籍条項撤廃の流れにも関わらず 生活保護法 には、国籍条項(第1条及び第2条)が残っている。そして未だに改正されていない。これは一体どういう訳であろうか。

これに関しては当時の国会議事録から引用しよう。

1981年(昭和56年)5月27日 衆議院 法務委員会、外務委員会、社会労働委員会連合審査会 第1号

質問者は『外務委員会理事(当時) 土井たか子氏』
答弁者は『厚生省社会局長(当時) 山下眞臣氏』
議事録の発言番号17番より引用を開始する。

○土井委員 いまのは、ちょっと私の質問に対する御答弁にはなっていないように私には思われるのです。 ただ、それならばいま厚生大臣がおっしゃったことでちょっとお尋ねをしたいと思いますが、今回国籍条項が撤廃されるという対象になっているのは国民年金、児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当、こうなるだろうと思うのです。ところが、生活保護法、国民健康保険法というのは国籍条項を置いたままになるのですね。この取り扱いは従前どおりということになるだろうと思うのですが、どのようにこの点は今後改革を迫られるか、どういうふうにお考えになりますか。
○山下政府委員 生活保護につきましては、昭和二十五年の制度発足以来、実質的に内外人同じ取り扱いで生活保護を実施いたしてきているわけでございます。去る国際人権規約、今回の難民条約、これにつきましても行政措置、予算上内国民と同様の待遇をいたしてきておるということで、条約批准に全く支障がないというふうに考えておる次第でございます。
○土井委員 しかし、その法そのものについては従来どおり、生活保護法にしても国民健康保険法にしても、国籍条項は削除しないというままに置くわけでしょう。適用の運用の上で配慮をそれぞれ試みていくというにとどまるわけですね。どういうわけでこれは国民年金や児童手当や児童扶養手当等々と取り扱いを異にして、国籍条項というものを据え置くことになったのですか。
○山下政府委員 難民条約で、難民の方に対しましても日本国民と同じ待遇を与えるようにと書いてあるわけでございますが、それはその形がどうであれ、実質が同じ取り扱いをしておれば差し支えないという解釈であることは先ほど申し上げたとおりでございます。 生活保護法につきまして今回なぜ法律改正を行わなかったかということでございますが、一つには、国民年金等につきましては給付するだけではございませんで、どうしても拠出を求めるとか、そういった法律上の拠出、徴収というようなことにどうしても法律が必要だろうと思うのでございますが、生活保護で行っております実質の行政は、やはり一方的給付でございまして、必ずしもそういう法律を要しないでやれる措置であるということが一つの内容になるわけでございます。 ただ、改正してもよろしいではないかという御議論もあろうかと思うのでございます。その辺につきましては十分検討いたさなければならぬと思うわけでございますが、いろいろむずかしい問題がございます。 たとえば出入国管理令でございますか、今度は法で、出入国の拒否事由といたしまして貧困者等国、地方公共団体の負担になる者、これにつきましては入国を拒否することができるという規定があるわけでございまして、そういった規定との関連を、この生活保護を法律上のものとして改正する場合にどう調整していくかというような問題等もございます。あるいは生活保護につきましては国民無差別平等にやるわけでございますが、補足性の原理というのが強くあるわけでございますが、そういった外国人の方の親族扶養の問題等をどう解決していくか等々非常に詰めなければならぬ問題が多うございますので、今回は、とにかくこういった条約の批准には何ら支障がないし、実質的には同じ保護をいたしておるのであるからこれによって御了解をいただきたい、かように考えているわけでございます。
○土井委員 いろいろ取り扱いの上で具体的にむずかしい問題もあろうかと思いますけれども、そうすると、これはそのために新たな通達を今回御用意になるというかっこうなのですか。
○山下政府委員 すでにもう昭和二十年代に、外国人に対する生活保護の適用ということで明確に通知をいたしております。かつまた、予算も保護費ということで、国内の一般国民と同じ予算で保護費の中で処置をいたしておるわけで、特にそれを改める必要はないわけでございますが、こういった難民条約の批准等に絡めまして、一層その趣旨の徹底を図るという意味での通知、指導等はいたしたいと考えておるところでございます。

これらの山下氏の発言で『生活保護法に国籍条項を残した理由』が解ると思う。

外国人に対しての生活保護支給に関しては、1954年(昭和29年)に旧厚生省より発せられた 厚生省社会局長 昭和29年5月8日 社発第382号 活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について という通知によって『当分の間、生活に困窮する外国人に対しては一般国民に対する生活保護の決定実施の取扱に準じて左の手続により必要と認める保護を行う』という『行政措置』が取られる事となった。
こうして、『法の適用対象とならない』外国人に対しても生活保護法に準じて保護が行われる事になっていた。

山下氏の説明によれば、この通知で外国人にも生活保護を適用する事によりその形がどうであれ、実質が同じ取り扱いをしておれば差し支えないという解釈を満たす為、難民条約批准による『自国民と同一の待遇を与える』という条件をクリアしているとの事だ。

更に、通知に頼らずとも素直に法改正すれば良いではないか、という意見にはこう反論する。

先ず、生活保護の給付性格が問題となる。
国民年金等では受給するばかりではなく、対象者が一定額を納める事で始めて受給資格が生まれるという『拠出と給付が対応している』形になっている。その為に法制が必須となる。
だが生活保護は違う。飽く迄も行政機関による『一方的な給付』という形を取っている。その為、態々法律改正をせずとも現場の行政レベルで対応可能だと言える。

次に、出入国管理令(現在は出入国管理及び難民認定法)との絡みがある。
具体的には外国人の上陸拒否事由として貧困者、放浪者等で生活上国又は地方公共団体の負担となるおそれのある者という規定(出入国管理令/出入国管理及び難民認定法 共に第5条1項第3号)がある。要は、国や地方の予算を圧迫させる事が最初から解っている者に対しては上陸許可を出さないという事だ。
ここでもし生活保護法から国籍条項を撤廃したら、明らかにこの規定と矛盾してしまう。国籍条項撤廃という事は、国や地方の予算を圧迫させる事が最初から解っている外国人に対しても生活保護を給付するという事になってしまう。法条文との矛盾をなくす為にも、国籍条項を撤廃する訳にはいかない

それから、保護決定に至るまでのプロセスの問題もある。
山下氏の説明では『捕捉性の原理』と言われているが、要は保護決定に至るまでの調査が煩雑になり、解釈や対応も難し過ぎるという事だ。例えば親族による扶養の問題。生活保護法では基本的に、保護決定の前に親族に『この方の扶養は可能ですか』扶養の可否を問い合わせる外国人の場合、この親族が外国にいる場合も多いので、そこで扶養してもらうという事は『日本国から退去しなさい』と言っているのと同じになってしまう
これは 憲法第22条(居住・移転の自由) の侵害になり明らかに違反する。
(尚、日本国憲法の人権規程は『明らかに日本人を対象としているものでない限り』外国人にも普遍的に適用される。マクリーン事件判例)


これらの理由から、生活保護法に『敢えて』国籍条項を残しているという事なのだ。



2014年7月20日日曜日

最高裁の『外国人生活保護』に対する新判断について(3) ~最高裁判決の解説と過去の訴訟との関係~

さて、もう一度改めて最高裁の判決内容を書く。

生活保護法の対象は『日本国民』のみ。外国人は適用範囲外。

永住外国人生活保護(最高裁)【平成24(行ヒ)45号 生活保護開始決定義務付け等請求上告事件】

魚拓


正式な判決主文だとこうなる。


主文
原判決中上告人敗訴部分を破棄する
。前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。




何ともまぁ身も蓋もない文章である。

要は、二審の上告人(この場合は上告=最高裁に訴えたのは大分市)の敗訴部分を『間違ってるから破棄します』と宣告した事になる。
前項の部分――つまり『間違ってるから破棄します』とされた部分(大分市の負けとされた部分)――の被上告人(この場合は在日中国人女性)の控訴(一審で負けたから控訴=高裁に訴えた)を棄却する……つまり、最終的には一審判決が有効になる。
控訴と上告に掛かった費用も全部被上告人(在日中国人女性)の負担だよ、と言ってる訳だ。


更に正式な判決文だと

しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

とまで書かれているので、まさにフルボッコである。
(然し、久々に見たなぁ……こういうフルボッコ判決文)


理由を解説していく。

先ず(1)での(理由1)がそのまま書かれている。
即ち、旧生活保護法では『困窮する者全て』と、日本人と外国人の別なく保護対象としていた事。
然し、新生活保護法では『すべての国民』と、対象を日本国民に限定した事。
そして、新生活保護法制定から現在に至るまで、一度足りとも法改正が為されていない事。
また、生活保護法の適用範囲を拡げる様な『法令』も出ていない事。
以上により、生活保護法の対象は『日本国民』のみであり、外国人は適用対象に含まれないと言える。

※尚『通達』『通知』は『法令』ではない。『通達』『通知』は単なる行政機関の内部文書である。

旧厚生省の出した【生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について】という通知は、行政機関の措置を定めた文書であるだけで、生活保護法を上書きする事は無い
飽く迄も、外国人は生活保護法適用による法的保護の対象とならない事を大前提とする。その上で、それとは別に事実上の保護を行なう『行政措置』として、当分の間は日本国民に対する同法に基づく保護の決定実施と同様の手続きにより、生活に困窮する外国人に必要と認める保護を行なう事を定めたものである。
つまり、外国人は『行政措置による事実上の保護対象』となっているだけで、『生活保護法に基づく保護対象』となっている訳ではない。という事は、生活保護の申請権も受給権も無いのであり、法的保護の対象ではないのだから『処分』とは言えず、上告人(大分市)の行為は適法である。


という理由で『二審は明らかに法令解釈の誤りがある』として、上告人の敗訴部分を破棄する判決となった。
而も、この『二審は法令解釈に誤りがある』という判断は、担当裁判官全員一致の判断だという事で、もう何一つ言い訳すら出来ない。





ところで、この裁判では当初『憲法第25条(生存権)』と『憲法第14条(法の下の平等)』が争点になっていた事を覚えているだろうか。

憲法第25条及び憲法第14条に関する最高裁判例として、最重要とされる有名な事件が二つ有る。
一つは【塩見訴訟】と呼ばれる判例。
もう一つは【堀木訴訟】と呼ばれる判例だ。

塩見訴訟【昭和60(行ツ)92 国民年金裁定却下処分取消請求事件】
堀木訴訟【昭和51(行ツ)30 行政処分取消等】

簡単に説明しよう。

先ず【塩見訴訟】。これは『在日外国人に生存権保障が及ぶか否か』という問題に対して必ず提示される代表判例である。

この訴訟において原告は1934年(昭和9年)に朝鮮人の父母の下に大阪市で出生、1951年(昭和26年)のSF講和条約によって日本国籍を失った。その後、1970年(昭和45年)に帰化して日本国籍を取得した。原告は幼い頃に罹った麻疹の為に失明しており、普通ならば『障害者福祉年金』の受給対象である。
原告も当然、帰化後に障害者福祉年金の受給申請を行なった。

改正前の旧国民年金法第81条1項では、1939年(昭和14年)11月1日以前に生まれた者が、1959年(昭和34)年11月1日以前に負った傷病により、1959年(昭和34)年11月1日において別表に定めてある程度の廃疾(障害)の状態にある時には、その者に障害福祉年金を支給する事が決まっていた。

原告が生まれたのは1934年(昭和9年)で『1939年(昭和14年)11月1日以前に生まれた者』という条件はクリア。
麻疹によって失明したのも幼い頃なので『1959年(昭和34)年11月1日以前に負った傷病』という条件もクリア。
廃疾認定日(幼い頃から障害を負っていた場合、法的に『貴方を障害者と認めたのはこの日です』という認定日が成人した日に設定される。ただ、この旧国民年金法では戦後まもなくだったので、認定日が一律に法律で決まっていた)は『1959年(昭和34)年11月1日』であって、当然この日以前から障害を負っていたので、この条件もクリア。
晴れて『障害者福祉年金』が受給出来る。と思ったのだが……
受給申請を却下されてしまった。

その訳は、同法56条1項のただし書きに『廃疾認定日に日本国民でない者や日本国民であっても国内に住所を要しない者には障害者福祉年金を支給しない』と書かれていた為だ。

さて、これは憲法第25条(生存権の保障)及び憲法第14条(法の下の平等)に反するのだろうか?

結果としては原告敗訴が最高裁で確定した。
その理由としては是非判決文を熟読して頂きたいのだが、当エントリー内でも簡単に言おう。
  • 憲法第25条が示すものは国に課した政治的/道徳的な義務であって、個々の国民に具体的な権利を保障したものではない。(法的には『プログラム規定説』と言う)
  • 憲法第25条の義務をどう実現するかは、立法府の広い裁量に委ねられている。
  • 国は限られた財源の中で義務の実現に向けた努力をしなければならないので、財政状況は無視出来ない。問題の障害者福祉年金は、全額国庫負担の無拠出型(掛け金が必要無い)年金であるので、財源をどう使うかは立法府の裁量の範囲に属する事柄である。
  • 廃疾認定日を定めた事も、認定日以前の日本国民と認定日以降の日本国民とにの待遇に差をつける事も合理性を欠くとは言えない。よって憲法第14条に反してるとは言えない。
  • 社会保障から外国人を除外する行為や、外国人より自国民を優先する行為も立法府の裁量の範囲内である。
という理由になっている。
この塩見訴訟では、日本国民と外国人の社会保障を全く同一にするのは財政的にも難しい為、立法府が政治的に判断し、日本国民と外国人の間の待遇に差をつける事は許される範囲であると語っているのだ。



次に【堀木訴訟】。これは『憲法第25条の違憲審査基準を示した判決』として重要視されている。この判例は、前述の『プログラム規定説』のリーディング・ケース(先例となる判決)とされ、他の判決にも度々引用されている。

この訴訟において原告は視力障害者の女性。彼女は全盲であった為、旧国民年金法に基づく『障害者福祉年金』を受給していた。内縁の夫との間に生まれた子供を、彼と離別し独力で育ててきた。普通ならば、母子家庭として児童扶養手当の対象である。
彼女も受給出来るものと思い、知事に対し請求した。

だが答えはNO。
その訳は改正前の児童扶養手当法では、第4条3項第3号に『公的年金の受給者には児童扶養手当を支給しない』という条文が有ったからだ。
原告はこの処分に対して『児童扶養手当の実質的な権利者は児童であり、親が障害者福祉年金を受給しているからという理由で児童を受給対象から除外するのは不合理な差別である』として訴訟を起こしたのだ。

では、これは憲法第14条(法の下の平等)に反する不合理な差別なのだろうか?

結果としては、これも同じく原告敗訴が最高裁で確定
その理由はやはり熟読をお願いしたいのだが、そういう訳にも行かない。なのでここにも書く。

  • 憲法第25条が示すものは国に課した政治的/道徳的な義務であって、個々の国民に具体的な権利を保障したものではない。(法的には『プログラム規定説』と言う)
  • 憲法25条の規定は、国に対する責務として一定の目的を設定し、その実現の為に積極的な国権の発動(立法権や行政権)を期待するという性質のものである。
  • 憲法第25条の目的をどう達成するかは、立法府の広い裁量に委ねられている。
  • 児童扶養手当は元々『母子福祉年金』を補完する意味の公的年金であり、児童の養育者に対する社会的な保障である『児童手当』とは性質が異なる。障害者福祉年金も公的年金なので、年金の二重取りを許可するか否かは、立法府の裁量に委ねられる。
  • この児童扶養手当の不支給も、母子家庭や障害者世帯や生活保護等の社会福祉を総合的に勘案すると、決して不合理的な差別であるとは言えないので憲法第14条に反していない。

となる。



最高裁の『外国人生活保護』に対する新判断について(2) ~第二審判決から最高裁判決まで~

続いて第二審判決。

一審で主張の殆ど全てを棄却された原告(在日中国人女性)側が控訴した結果、どうなったかと言うと……

二審・福岡高裁
 原告(在日中国人女性)勝訴 被告(大分市)敗訴

完全に逆転した


永住外国人生活保護(福岡高裁)【平成22(行コ)38号 生活保護開始決定義務付け等請求控訴事件】

内容は以下の通り。
  • 生活保護法の対象は法的には『日本国民のみ』だが様々な要因により『準用』されているので、永住外国人にも申請権及び受給権は有る
  • (憲法第25条に関する言及は無し)
  • (憲法第14条に関する言及は無し)
  • (国際人権規約A規約に関する言及は無し)
  • 申請権及び受給権があるので法的保護の対象であり、大分市の申請却下は『行政処分』である。その為、大分市の行為は違法。
という論点をほぼ一点に絞り込んだ判決となった。

では理由を説明しよう。

(理由1)

先ず、1954年(昭和29年)の【生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について】(昭和29年5月8日 社発第382号 厚生省社会局長通知)により、外国人にも生活保護法が『準用』される事となった。
次に、1981年(昭和56年)5月27日衆議院外務委員会第1号(発言番号17番以降が該当)で、難民条約批准に伴う国籍条項問題が起こる。国民年金等では撤廃されたが、生活保護法では入管法第5条1項第3号の上陸拒否事由との絡みで、法改正するには問題が大きい』とされた。然し実質的に日本国民も外国人も同じ取り扱いで生活保護を実施しているから問題ない』との答弁がある。
更に、1990年(平成2年)10月に準用対象が『永住外国人』に限定されたのは、国が一定の範囲内で難民条約等の国際法及び国内公法上の義務を認めたものと言える。
よって、通知の文言に関わらず、一定範囲の外国人も生活保護法の準用による法的保護の対象になるものと解するのが相当。
つまり、永住外国人には生活保護の申請権及び受給権が有るものと見做される。

(理由2~4省略)


(理由5)

生活保護法の『準用』対象であり、上記国会答弁でも『実質的に日本人と同じである』との事なので『法的保護』の対象と言える。つまりは生活保護の申請却下は、法に基づき行政権を作用させる『処分』そのものである為に、行政審査の対象にはならないとして棄却した大分市の行為は違法行為に他ならない。


以上が理由となる。

一審の地裁判決に比較してかなり焦点を絞り込んだ判決文である為、正直内容の薄さが目立ってしまう。憲法に関する見解がない事で、一審での『反しない』とされるものがそのままになり、矛盾を来している様にすら思える。それだけではなく国際人権規約A規約への言及も無いのに、【国が一定の範囲内で難民条約等の国際法及び国内公法上の義務を認めたものと言える】と言われても……という戸惑いも生じる。




さて、この二審判決を受けて大分市は上告した。

最高裁での審理の殆どは『書類の精査』で終わる。何も問題が無ければ、そのまま二審判決を支持して『上告棄却』となる事が多い。だが逆に言うならば、最高裁で『弁論』が開かれるという事は『二審判決』に何か問題が有るという事になる。『弁論が開かれる場合、二審判決の見直しの公算が高い』と言われるのはこの為である。


6月27日に双方の意見を聞く弁論が開かれ、7月18日に最高裁判決が下された。
その結果……


最高裁
 被告(大分市)勝訴 原告(在日中国人女性)敗訴


再度逆転した
つまり、二審判決に法令解釈上の誤りが有った訳である。

ちなみに、日本の裁判は三審制なので最高裁判決は『確定判決』となり、類似案件の裁判の『判例』となる。


では、二審の法令解釈の一体何処が間違っていたのか。
この場合の判決は、『原審(つまり間違っているとした二審判決)の◯◯部分を破棄する』というシンプル極まりない文章になる。そして続く理由も『何がどうして間違っているか』しか書かれない。

最高裁の判決文は未だに公開されていないのだが、TBSラジオの【萩上チキのSession22】という番組のスタッフ様がテキストに書き起こして下さったので、有り難く利用させていただく。
この場を借りて感謝の意を捧げたい。



永住外国人生活保護(最高裁)【平成24(行ヒ)45号 生活保護開始決定義務付け等請求上告事件】
魚拓


  • 生活保護法の対象は『日本国民』のみ。外国人は適用範囲外。


何故こうなるのか。そして、(1)で前述した様な【塩見訴訟】【堀木訴訟】との関係は何か。詳細な解説は(3)で行おう。

2014年7月19日土曜日

最高裁の『外国人生活保護』に対する新判断について(1) ~事実の発生から第一審判決まで~


先ず言っておく。


大喜びしてるネトウヨ酷使様や自称愛国者様。

今回の判断は『永住外国人に対して生活保護を支給しなくても問題なく合法』としただけであり、『地方自治体の行政裁量により支給するのは自由』と司法判断されただけだ。
つまりは『永住外国人に対し生活保護を支給する行為は、法的には問題にならない』ということであり『支給しても良い』と最高裁がお墨付きを出した事になる。



憤ってる人権派や反差別界隈の方々。

今回の判断は飽く迄も『権利がない=法的保護がない』という話なだけであり、永住外国人の生活保護受給に即座に影響は出ないと思われる。詳細は後述するが、この最高裁判断はある意味で【塩見訴訟】【堀木訴訟】を踏襲してるとも言える内容である為、この判断を以って最高裁が変節したなどとはとても言えない事に注意する必要がある。


では最初に各報道から見ていこう。


最高裁が初判断「外国人は生活保護法の対象外」

魚拓










「外国人に生活保護受給権なし」最高裁が初判断


魚拓







永住外国人の生活保護認めず 最高裁が初判断

魚拓









各社の記事をよく読んで注目して欲しい。
『二審判決を覆した』とある。
では、その二審判決(高裁判決)とはどの様なものだったのか。
いや、そもそも一審判決は――何を争って裁判したのだろうか。


永住外国人生活保護(大分地裁)【平成21(行ウ)第9号 生活保護開始決定義務付け等請求事件】
永住外国人生活保護(福岡高裁)【平成22(行コ)38号 生活保護開始決定義務付け等請求控訴事件】

※第一審、第二審判決の詳細な内容は上記リンクの判決文を読んで欲しい。(PDF注意)


簡単にまとめると以下の様になる。


原告は永住権を持つ在日中国人女性

この女性は、同じく永住権を持つ在日中国人男性と1954年(昭和29年)に結婚し料理店を営んで暮らしていた。
然し、1978年(昭和53年)頃に夫の体調悪化に伴い店を閉め、義父(夫の父)の駐車場収入と夫の所有不動産の賃貸収入で暮らしていた。

2004年(平成16年)9月頃から夫が認知症により入院。
2006年(平成18年)4月頃に義弟(夫の弟)が自宅に引っ越して来て同居を始めた。

この後、義弟からの原告に対する暴力や虐待が始まり、預金通帳なども取り上げられた。
そして生活に困窮した原告は、2008年(平成20年)12月15日に生活保護を申請した。
然し、行政機関は夫名義及び原告名義の預金残高が相当額あるとの理由により、同月22日に保護申請を却下した。
原告はこの申請却下を不服とし、2009年(平成21年)2月6日に行政審査の申し立てを行なった。
だが県知事は、行政不服審査の対象は『処分』であり、永住外国人への生活保護支給は『処分』ではなく『行政措置』なので行政不服審査の対象ではないとして審査申し立て自体を却下した。
これに不服を抱いた原告が大分市の福祉事務所を被告とし訴訟に至った。

――と、まぁここまでが事案のあらましである。


ここまでの事実関係により幾つかの前提が導き出される。


前提①
1954~1978年の24年間は、料理店経営により『独立の生計を営むに足りる技能を有していた』という事実。

前提②
1978~2006年までの28年間は、不動産収入により『独立の生計を営むに足りる資産を有していた』という事実。

前提③
2006年以降も本来ならば、不動産収入により『独立の生計を営むに足りる資産を有していた』のであるが、その資産を義弟に奪われ虐待を受けていたという事実。

この前提①②③により、この案件は
『預貯金や資産を有す人間が、身内の虐待行為により生活に困窮した為に生活保護申請に至った』
という事案である事が了解される。
少なくとも
『何の展望も技能も資産も無い外国人が無計画に出稼ぎに訪日した結果、生活に困窮し生活保護申請に至った』
という身勝手な理由ではない事は解って頂けるものと思う。


前提④
原告が自由に出来ない資産であるとは言え、2008年時点で多額の預貯金が存在し資産も所有していた。これにより保護申請は却下されたという事実。

前提⑤
保護申請却下を不服とし行政審査を申し立てた。然し、永住外国人への生活保護支給は行政審査の対象である『処分』ではないとして却下したという事実。

この前提④⑤より、裁判の争点が導かれる。
即ち

  1. 『自分名義の資産が有ろうと自由に出来ないのなら、生活困窮が認められるのではないか』
  2. 『定住外国人にも「生存権」は適用されるのではないか』
  3. 『生活保護は定住外国人にも「受給権」はあるのではないか』
  4. 『定住外国人への生活保護支給は「行政処分」ではないのか』
という四点が問題となる。
尚、この問題点の一は既に解決しており、2011年(平成23年)12月に原告の生活保護が認められている事は先に言っておく。



この争点に対する双方の主張は

原告側(在日中国人女性)

定住外国人にも憲法第25条の生存権の保障は及ぶので、生活保護法の申請権は適用される。行政は法的に認められた行為を却下したのだから『処分』を行なった事には間違いなく、行政不服審査の対象である。仮に支給が認められないとしても、旧厚生省通知により定住外国人にも生活保護を支給してきた事実がある為、却下された事への確認請求は為されて然るべきである。また、国際人権規約A規約第2条2項第9条・第11条1項により、外国人への生存権保障並びに生活保護受給権がある事は明白である。

被告側(大分市)

生活保護法は対象を『国民』と規定しているので、外国人には申請権及び受給権は無い。つまり定住外国人への支給は生活保護法に基づくものではなく、飽く迄も行政機関の行政措置に過ぎないものであるのだから、その申請への応答は『行政処分』ではない。また福祉に於いては自国民が優先され、外国人を後回しにするのは憲法第25条に反するとは言えない。また、外国人への生活保護の申請権及び受給権を認めないのは憲法第14条の法の下の平等に反しない。また、国際人権規約A規約の第2条2項・第9条・第11条1項は『国には社会保障の実現に向けて推進する政治的責任が有る事を確認したもの』であって、個人に対し即座に権利を与える事を定めた条項ではない。

と真っ向から対立しているのだ。


それで判決はどうなったかと言えば……

一審・大分地裁
 被告(大分市)勝訴 原告(在日中国人女性)敗訴

  • 生活保護法の対象は『日本国民』のみ
  • 生活保護法対象者から永住外国人を除外するのは憲法第25条に反するとは言えない
  • 各人の有す事実上の差異を前提とした合理的区別なので憲法第14条に反しない
  • A規約の問題とされた各条項は『国の政治的責任を規定した条項』で、個人に権利を与える条項ではない
  • 生活保護法の対象では無いので『法的保護』は無い。これにより『行政処分』にはならないので、行政審査の対象外
となった。
上から順に理由を説明しよう。

(理由1)

旧生活保護法(昭和21年9月9日法律第17号)第1条では
この法律は、「生活の保護を要する状態にある者」の生活を、国が差別的又は優先的な取扱をなすことなく、平等に保護して、社会の福祉を増進することを目的とする。
として『恩恵的な給付』として、一切の国籍区別をしていなかった

それが新生活保護法(昭和25年5月4日法律第144号)第1条では
この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
として、対象を【すべての国民】として日本国民に限定した。法の制定目的からしても『国民』に限定されることは明白である。
よって『生活保護法は、法的には対象を日本国民に限定している』となる。

(理由2)

日本国憲法第25条は、国の政治的責務を記したものであり、その要請に応えてどの様な措置を講ずるかは立法府の裁量権に委ねられている。永住外国人に保護を認めるかどうかも立法府の裁量権の範囲内である。著しく偏っているものでなければ、違憲か否かの問題さえ起こらない
更に、永住資格を持っていようとも外国人の場合は本国の資産調査などが困難である為に、永住外国人に全額公費負担の生活保護を与える場合には「事実上無条件に与える」事になる恐れがある。
よってこの申請却下が著しく偏っているものだとは言えず、憲法第25条に反するとは言えない

(理由3)

日本国憲法第14条は合理的な理由のない差別を禁止する規程である。
国はその限られた財源の中で様々な社会保障を制定するものであって、その適用範囲は立法府の裁量権に委ねられている。立法府が定住外国人を生活保護法の対象外としても、そこには合理性が無いとは言えない。よって憲法第14条にも反しない

(理由4)

国際人権規約A規約の問題となった各条項だが、これは締約国に権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を負わなければならないとしたものであって、個人に対し直接具体的な権利を付与したものではない。よってA規約によって個人が生活保護受給を主張する事は出来ない

(理由5)

上記理由により永住外国人は生活保護法の適用範囲外ではあるが、各地方自治体の行政裁量権の及ぶ範囲として、定住外国人にも生活保護を準用している。これは飽く迄も『行政裁量』として、永住外国人からの生活保護の要請(申請)を受付ており、それに応答し支給/不支給の判断をしているだけなので、法に基づき行政権を作用させる『処分』とは異なるものである。つまり、行政の『処分』を対象とする行政不服審査法の適用除外である。


以上が理由となる。

また大分地裁は判決文の中で
外国人に対する生存権保障の責任は、第一次的にはその者の属する国家が負うべきである
とも言っている。
これも後々問題になるのだが……


簡単にまとめよう。
生活保護を申請する場合、一審に従うと以下の様になる。


日本国民 【生活保護法による権利有】
→生活保護法に基づいて申請 【申請権有】
→行政府による判断での保護開始、又は申請却下 【行政処分】
→受給権が有る為、不服なら行政審査を申し立てられる 【法的保護有】

定住外国人 【生活保護法による権利無】
→行政措置に基づいて申請 【申請権無 但し行政措置として裁量で受領】
→行政府による判断での保護開始、又は申請却下 【行政処分ではなく単なる要請応答措置】
→受給権が無い為、不服でも行政審査を申し立てられない 【法的保護無】


これが二審で、そして最高裁でどう変わるのかを続けて解説していこう。

2014年7月16日水曜日

反ヘイト団体【男組】の大量逮捕について

 さて、ブログ再開と同時に(或る界隈では)重大な事件が発生してしまった。




反ヘイト名乗る「男組」幹部ら8人逮捕 右派系男性への暴行容疑

魚拓

http://webnews.asahi.co.jp/abc_1_001_20140716002.html




 この【男組】とやらの逮捕は予想されていた行為だ。
 今回逮捕された【添田充啓】【木本拓史】の両容疑者は過去にも捕まってる上に、今年6月11日ののりこえネットのシンポジウムでも丸切り反省の様子を見せていなかったのだから。
この辺りの問題――どちらが悪いとか手法の問題云々は、一旦脇に置く。


 それはそれとして、だ。


 前々から何度もTwitterで表明している通り、私個人としてはレイシズムには反対の立場である。
 しばき隊や男組などの圧力(実力行使)系の手法は全否定するが、人種差別反対という志だけは同じくする。
(その割に決まって『ネトウヨだ』『レイシストだ』と言われるのだが……)

 然し、今回も失望を禁じ得なかった。
 この逮捕で『やはり』と思わせ、更に『手遅れだ』と思わせたのが、当の男組と志を同じくしていた所謂カウンター諸氏の反応だ。
 以前、同様に暴力沙汰で逮捕された時も――そして今回も彼ら同調者は異口同音に
  • 『彼らの行動は、悪のレイシストを処断した正義だ』
  • 『レイシストを殴るのは悪ではない』
  • 『普遍的人権を守らない者に鉄槌を食らわせただけだ』
  • 『逮捕する警察もレイシズムを加速させる仲間だ』
  • 『我らを逮捕するより先にレイシストを逮捕せよ』
  • 『警察がレイシストどもをのさばらせているから、我々が奴らに相対しているんだ』
  • 『欧米では逆にレイシストどもが逮捕されるのに、この国はオカシイ』
などという反応を示していた。
それが証拠に、逮捕直後からTwitterでは

 #FreeOtokogumi (男組を解放せよ!)
 #FreeMenfolk (男組を解放せよ!)
 #FreeAllAntifaSoldiers (全ての反ファシズムの闘士を解放せよ!)

というハッシュタグまで作られる始末である。
クリックして見てみると良い。


更には同調者の擁護の一例として、このようなブログを取り上げてみよう。

大石規雄BLOG 低く 飛ぶ 2014年07月16日(水) 【今回の男組メンバー逮捕に関して】

魚拓



引用しよう。

 差別デモに参加してヘイトスピーチを喚き散らすことより、そうしたデモに参加しようとしたレイシストの行く手を阻み、かけていた眼鏡を取り上げて「めがねめがね~!」とからかう方が重罪であるとされ、今朝、男組メンバーや関係者8人が逮捕されたが、私はそんなことで男組を逮捕した警察はおかしいと思うので、早期釈放を仲間たちと求め、支援していきたいと思う。

 今件について、レイシストに対してより、男組に反省を求める人たちは、どうかしている。

 集団でレイシストを取り囲むのが悪いなら、集団でヘイトスピーチを喚いてきた奴らのほうが、もっと悪いに決まっている。
 ……これは一体如何様な屁理屈だろうか。
正直な話、全く理解出来ない。いや、意味は理解出来る。
然し、ある程度の年齢を重ねてきたであろう大人としては、この屁理屈に決して納得してはならないし、また容認してはならない。

身も蓋もなく言ってしまえば、叱られた子供が
 『僕より◯◯ちゃんの方が悪いコトやったんだ!僕だけ怒られるのは納得行かないよ!』
と泣き喚いて叫んでいるのと全く同じだからだ。


そこには罪を犯した者、もしくは逮捕された者への反省を呼び掛ける言葉など無い。
自分達の行為の何処に問題があったかを自省する言葉など無い。
被害を与えた者に対する謝罪の言葉すら無い。
自分達が加害者であるという意識すら無いのだろう。
逮捕された者に対し、形式的にであっても『罪を償って下さい。そしてまた一緒にやりましょう』の言葉も無い。


彼らの頭の中にあるものと言えば

  • 自分達の思想信条を絶対正義とした自己の正当性の主張
  • 司法権力無意味とし、私刑による自力救済を勧告
  • 罪状の相対化により無謬性を強弁する事での罪刑法定主義の否定
  • 警察を始めとする公権力への絶対的な不信感と批難
  • 日本ではなく欧米の基準、つまりは外的な基準への狂信にも近い信頼


という事だけではないか。


 彼らが批判した者達によって傷付けられたマイノリティ。そのマイノリティへのコミットは何処へ消えてしまったのだろうか。
マイノリティに対する差別という大きな問題さえも、この様なまるで街のチンピラ紛いの者達の衝突とそれに伴う逮捕劇により、一般大衆にとって差別問題を気にするという意識すらかき消され雲散霧消してしまうのではなかろうか。
そして残るのは、一般大衆からは見捨てられた『先鋭化して過激になった集団』だけになるのではないのか。
そんな気がしてならない。


 最後に。

彼らの『理想』とするものは一体何なのだろう。
私には、彼らが『仲良くしようぜ』を理想としているとは到底思えない。


彼らの理想郷は、『アナキズム(無政府主義)に基づいた公権力の否認による現政権の破壊』及びその後に来るであろう『自分達選民による全体主義的な独裁(または寡頭)統治』としか思えないのだ。




2014年7月15日火曜日

さて果て…… 再開するかな?

気付いてみたら何と5年半ぶり。

いやぁ、放置も大概にしろw

気分一新でリニューアルもしたし、何から書いていこうかな。